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“墨田の花火” 2006/6 撮影 デジタルフォト誌 優秀作品賞 NHKドラマ「陶芸青春記~緋を求めて~」を観ました。萩を舞台に、窯元の娘として育った田中美里演ずるヒロインが、偏屈な陶芸作家に弟子入りし、苦悩し、挑戦して独立して有名になってゆく物語です。僕は職人に為りたかったので、この種のTV放送が好きです。現場にある独特の道具、使い方、作法、用語などが、どれが欠けても成り立たないと思われる絶妙のバランスを見せてくれてからです。このドラマから示唆を受けた言葉があります。 師から創作を許され評価されるとのですが、弟子たちが唸るほどの出来映えの作品を前に、師の言葉は「これはダメだ!」一言でした。「どこが悪いのですか?なぜですか?」との問いに「自分で考えろ!」との一喝。その後で、一番弟子に「似すぎてて気持ち悪いんだよ!」と打ち明ける。 何度作り直し、いくら考えても分からないヒロインは、師の下を出て他の仕事につきながら悶々と日々過ごす。ある日ヒロインに日本海を望む有名料亭の「湯のみ茶碗」づくりの対決チャンスが持ち込まれます。(師の心遣いだったのですが・・・) 料亭の亭主はヒロインともう一人の陶芸作家を前に、「荒海料理コースを出すために、皿や椀などは全国の陶品で揃えられたが、茶碗だけが見つけられないので、先生方のうちどちらかに創ってもらうことにしました。」と告げる。 ヒロインは、審査会の迫るなかで、どのようなものを、どのように創れば良いのか掴めないまま、機敏転換にと入った風呂のなかで“自分らしいヒント”がひらめき、すぐに創作に入ります。 そして望んだ料亭で、審査員4名と亭主の下した評価は、僅差でヒロインの勝ちとなりました。 最終評価を入れた亭主は、「お願いした料理を生かすため、お客さが最初に手にする湯のみ茶碗は、芸術性高く重厚なものより、飲みやすく楽しめてこれから始まる料理に期待が膨らむもの、“用”と“美”の両方が備わったものがウチに必要なのです。」と締めくくったのです。 ヒロインが風呂に浸かりながら気づいたことは、「風呂のカタチより大切なのは、お湯を楽しめること」ということでした。有名作家の湯飲みは荒々しい日本海をイメージする見事な重厚な茶碗だったのに対し、ヒロインの湯飲みは、手に持って軽く、静かな日本海の夕方をイメージするデザインながら、お茶を注ぎ飲むときに眼に入る内側には渦巻く海をイメージさせるように絵付けされていました。 これから並ぶだろう荒海料理に繫がる小さな驚きを秘めていました。 師や対戦相手の作品を意識するあまり、その作品を真似しながら超えたいという思いから自分を縛り、“自分らしい作品”づくりへ向うことができなかった自分に気づいたことが転機でした。 長い間写真を撮ってくると、春夏秋冬巡ってくる花や鳥や山や海など自然に対して、「今年はどう撮ればよいのか?」、見つけられなくて悩み、壁にぶつかることがあります。 プロ写真家たちは、キレイなもの、美しいものに感動してそのまま撮ったとしても、「今までと同じ」、「他人と同じ」、「どこかで見たような写真」であって「作品」にはならないと指摘します。 確かに、普通では撮れない美しい写真には、他人よりも大きな努力、行動力、時には優良な機材を購入する投資がかかりますが、ハイアマチュアやプロは皆そうしています。作品と呼ばれるものには、少しだけでもキラリと輝くユニークなものが入っていなければなりません。 では、どうすれば、いつになったら「自分らしい写真=作品」が撮ることができるのだろうか、終わりの無い課題かも知れません。でも、確かなことが一つだけあるような気がしています。 撮る目的や、撮りたいと思った感動を、誰かの真似ではなく、自分らしいやり方(主題と副題、背景選択、光と影、色彩・カタチ・質感の構成など)で撮ることができ、その写真を見た人の多くが「○○さんらしい写真ですね」と評していれば、メッセージを込めた写真にする力へ一歩近づき始めているのです。 「言うは安く行なうは難し」ですが、僕は、これからも変わらず、少しでも「自分らしい写真」が撮れるように、楽しみながら集中し、心が向うもの全てにカメラを向けて行きたいと思います。
by kk-ohsawa
| 2006-10-27 19:48
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