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NIKOMAT FTN時代からずーっとニコンを使ってきて、今はFとD600使っています。 実はF2発売時期にまだ資金が無くて代わりにFの生産完了品番中古品を発見して購入しました。 F2への憧れもあり、シルバーボデイにブラックの露出計連動アイレベルFTNファインダーを追加購入して“F2もどき”のFにして自慢気に使っていた想い出があります。(^^; 写真は、当時のニコンF2フォトミックと所有しているアイレベルファインダー装着のF、FTnファインダー装着Fです。(本日D300で撮影) 現在でも、フィルムで撮りたくなったらニコンF(ブラックFTnファインダー別途持参)があれば充分だと思っています。 昔、カメラが従来の機械式から、電気を使って動作するシャッターユニットに加えてAE、AFと変容してゆくなかで、信頼感のある機械式カメラがあれば「写真は自分が撮る」楽しみは充分なのでこれを愛機として保存し、別モノとして先進式カメラ(普及ランク)を買い替え追っかけて行くことにしました。 ニコマートEL→ニコンFE→F601→F801→D100→D200→D300と続いて、精密機械としての正確さと頑丈さに加え、露光・焦点合わせの自動化から、フィルムから受光素子への切換え、手ぶれ制御や露光のIT化までカメラや交換レンズに及びながら現在に至っています。 ニコン製ののFとD300を並べて見ると、どちらもヒトが写真を撮る装具として大事なポイントは同じように追及されていることに灌漑深いものがあります。 昭和初期(20年~40年頃)、写真の原点というか、手にとってみて写真を撮るという感性の道具「カメラ」が、精密で高価な商品として大企業で真面目に造られていることやレンズを覗いた時の奥深い眼差しに感動していました。ファインダーの中のストンとピンが出てくる世界もそうですよね。 最近、「カメラと写真」について特に思うところがあります。 写真は、写す者の心を映し出すものだとすれば、映し出すサイズやフォーカスさせたいポイントやそれに相応しい明るさや角度などを自ら動いて造り出すのは実に楽しい行為だったと想い出しています。 何もかもカメラやズームレンズが決めてくれるので、残るはシャッターレリーズのスタートと僅かな画角だけという、現在の便利なカメラ使用しか知らない世代が可哀そうな気もしてしまいます。 写真という結果が良ければそれで良いのはプロの世界で、撮影そのものを楽しむアマは、誰が撮っても綺麗に写ってしまっては“自分の作品”というものが生まれにくい環境にいるのではないかと危惧しています。 【私の機材一覧表】 http://ken9821.web.fc2.com/satsuei-kizai-ichiranhyou.htm #
by kk-ohsawa
| 2009-09-14 09:23
| つれづれ日記
自然を撮影していると驚くことが多いですが、なかでも花の色には、マクロ撮影を行いながらも眼を見張るような感動を覚えることが少なくありません。 ここにご覧いただいてる「ツユクサ(露草)」の青色もそのなかの一つでした。初夏の木陰に咲く小さな花をアップしアングルファインダーのなかで見たときは、今まで写してきた薔薇などを含めてそんな花にも無かった、まさに“澄み切った5月の、抜けるような青空”の深い青色に驚きました。 話は少し変わりますが少し「発光ダイオード」のうちでも「青色」は最近ようや完成したために、光の三原色が出そろって大型ディスプレイが飛躍的に普及してきました。 サントリー社がバイオ技術で作りだした「青い薔薇」が驚きと称賛をもって迎えられました。 青い色は、水面や空にあるように、水を光が通過するときに出す色で、本来、物のなかには存在しない色かもしれません。 人は、青い色を見ると、不思議と心が静まり落ち着くことができます。おそらく人間以外の動物も同じではないかと思います。生まれてから常に身の周りにあった空や水の色で、命の証のような“環境色”だからです。 “飛ぶ宝石”といわれるカワセミ(翡翠)という小鳥も、「コバルトブルー」を含めた青色の背羽根とオレンジ色の腹毛を持っていて、深い緑をバックに水辺の草に止っているだけで、周辺の風景を変えてしまう存在感がありますが、「ツユクサ」もまさに“草花のカワセミ”と言ってよいほど、小さいけれどもこの青色に存在感があります。 「富士山」、「カワセミ」、「バラ」、そして「ツユクサ」が、ライフ・モチーフに加わりました。 これから「ツユクサの咲くシーン」をどのように撮ってゆくか、楽しみがまた一つ増えました。 #
by kk-ohsawa
| 2007-06-03 10:12
| つれづれ日記
“墨田の花火” 2006/6 撮影 デジタルフォト誌 優秀作品賞 NHKドラマ「陶芸青春記~緋を求めて~」を観ました。萩を舞台に、窯元の娘として育った田中美里演ずるヒロインが、偏屈な陶芸作家に弟子入りし、苦悩し、挑戦して独立して有名になってゆく物語です。僕は職人に為りたかったので、この種のTV放送が好きです。現場にある独特の道具、使い方、作法、用語などが、どれが欠けても成り立たないと思われる絶妙のバランスを見せてくれてからです。このドラマから示唆を受けた言葉があります。 師から創作を許され評価されるとのですが、弟子たちが唸るほどの出来映えの作品を前に、師の言葉は「これはダメだ!」一言でした。「どこが悪いのですか?なぜですか?」との問いに「自分で考えろ!」との一喝。その後で、一番弟子に「似すぎてて気持ち悪いんだよ!」と打ち明ける。 何度作り直し、いくら考えても分からないヒロインは、師の下を出て他の仕事につきながら悶々と日々過ごす。ある日ヒロインに日本海を望む有名料亭の「湯のみ茶碗」づくりの対決チャンスが持ち込まれます。(師の心遣いだったのですが・・・) 料亭の亭主はヒロインともう一人の陶芸作家を前に、「荒海料理コースを出すために、皿や椀などは全国の陶品で揃えられたが、茶碗だけが見つけられないので、先生方のうちどちらかに創ってもらうことにしました。」と告げる。 ヒロインは、審査会の迫るなかで、どのようなものを、どのように創れば良いのか掴めないまま、機敏転換にと入った風呂のなかで“自分らしいヒント”がひらめき、すぐに創作に入ります。 そして望んだ料亭で、審査員4名と亭主の下した評価は、僅差でヒロインの勝ちとなりました。 最終評価を入れた亭主は、「お願いした料理を生かすため、お客さが最初に手にする湯のみ茶碗は、芸術性高く重厚なものより、飲みやすく楽しめてこれから始まる料理に期待が膨らむもの、“用”と“美”の両方が備わったものがウチに必要なのです。」と締めくくったのです。 ヒロインが風呂に浸かりながら気づいたことは、「風呂のカタチより大切なのは、お湯を楽しめること」ということでした。有名作家の湯飲みは荒々しい日本海をイメージする見事な重厚な茶碗だったのに対し、ヒロインの湯飲みは、手に持って軽く、静かな日本海の夕方をイメージするデザインながら、お茶を注ぎ飲むときに眼に入る内側には渦巻く海をイメージさせるように絵付けされていました。 これから並ぶだろう荒海料理に繫がる小さな驚きを秘めていました。 師や対戦相手の作品を意識するあまり、その作品を真似しながら超えたいという思いから自分を縛り、“自分らしい作品”づくりへ向うことができなかった自分に気づいたことが転機でした。 長い間写真を撮ってくると、春夏秋冬巡ってくる花や鳥や山や海など自然に対して、「今年はどう撮ればよいのか?」、見つけられなくて悩み、壁にぶつかることがあります。 プロ写真家たちは、キレイなもの、美しいものに感動してそのまま撮ったとしても、「今までと同じ」、「他人と同じ」、「どこかで見たような写真」であって「作品」にはならないと指摘します。 確かに、普通では撮れない美しい写真には、他人よりも大きな努力、行動力、時には優良な機材を購入する投資がかかりますが、ハイアマチュアやプロは皆そうしています。作品と呼ばれるものには、少しだけでもキラリと輝くユニークなものが入っていなければなりません。 では、どうすれば、いつになったら「自分らしい写真=作品」が撮ることができるのだろうか、終わりの無い課題かも知れません。でも、確かなことが一つだけあるような気がしています。 撮る目的や、撮りたいと思った感動を、誰かの真似ではなく、自分らしいやり方(主題と副題、背景選択、光と影、色彩・カタチ・質感の構成など)で撮ることができ、その写真を見た人の多くが「○○さんらしい写真ですね」と評していれば、メッセージを込めた写真にする力へ一歩近づき始めているのです。 「言うは安く行なうは難し」ですが、僕は、これからも変わらず、少しでも「自分らしい写真」が撮れるように、楽しみながら集中し、心が向うもの全てにカメラを向けて行きたいと思います。 #
by kk-ohsawa
| 2006-10-27 19:48
| つれづれ日記
今から2年前の冬の昼下がり、僕が40余年間写真を撮ってきて初めて、翡翠(カワセミ)という美しい小鳥に遭遇しました。ポートレ-ト、スナップ、風景、花など、感動する色々なものにレンズを向けてきたが、これほど心に「ズン」と入ってきた被写体は初めてで驚きました。 先ず、翡翠ほどファインダーの中で「緊張感」が伝わってくる被写体は珍しいです。 宝石のように美しいこの小鳥は俊敏な動作を待っています。例えば、水中の小魚などを狙ってダイビングし1~2秒間内で戻ることができるため、その一瞬を撮るためには高速かつ連続シャッターを使って(ムービー撮影のように)追跡撮影せざるを得ないことになります。 普段は丸く可愛い姿ですが、いざ狙った瞬間、細身となって水中を凝視します。この気配を察知してダイブする水面を予測して置かないとレンズのフリ、フォーカスが間に合いません。 それで、「トマリモノ」撮影から慣れ始め、枝から枝へ移動する「ワタリ」へ進み、「トビモノ」、水がらみの「ササリモノ」や「トビダシ」、空中停止の瞬間の「ホバ」、など難易度の高いものが撮れるように努力と場数から要領を会得して行ければベストでしょう。 翡翠は、雀ほどの大きさだが平均寿命2年と“鳥の蜻蛉”といえるほど短いです。 この短い一生のなかで、真冬でも水中へ飛び込み餌を取り、恋をして2~3回産卵し育てあげなければならない。この鳥には「必死の美しさ」のオーラがあるのだとと思います。 僕が翡翠という被写体を知るに従って、“生き抜く小鳥”の凄さを感じながら、自然を守ってゆこうと考えるようになるのに時間はかかりませんでした。 美しいものは、変化し、いつか消えてなくなるからこその「命」の輝きを持っているのでしょう。 死なない、いつまでも無くならない、永遠不滅なものには美しさを決して感じないでしょう。 この小鳥に出遭ってから、自然に生かされている“ヒト社会”のことを考えるようになりました。 自然界のバランス(均衡)を乱してはならない、多くを求めすぎてはならないと思います。 このような美しい小鳥に遭えなくなる環境下では、ヒトが生きていく上でのリスクが高くなっていると考えた方がよさそうです。 長く写真をやってきたお陰で、「被写体を知ってゆく楽しさ」や「被写体から学べる世界」などが見つけられて、ほんとうに良かったと思えるこの頃です。 #
by kk-ohsawa
| 2006-08-15 00:07
| つれづれ日記
2006年7月23日(日)の朝日新聞に、銅版画家の山本容子さんが仕事について書いている次の一文が心に響きました。 もともと日本民族は、「いとしきもの」「こまかなもの」「きよらかなもの」「ちいちゃきもの」「はかなきもの」「うつろうもの」などが大好きです。世界のどこにもない美意識が、文学や美術、暮らしなど私たちの血に脈々と流れているです。(中略) 西洋の価値観である「真・善・美」のような大ぶりな感覚は、日本人の美学ではない。それを無理やりグロバリゼーションに合わせてそこへ走り込ませようとする。(中略)私たちは愚かなことをしていないでしょうか? 山本さんは、ここで仕事の対する心構えを、「失敗は存在しない」、「価値判断を外にまかせないで、自分の確たる人生目標さえ持てば、旅するようにプロセスを楽しめるはず」と説明しています。 先日、僕が「花火大会撮影」中に、現場で感じていた「観衆との一体感」、自分のなかの血の騒ぎ、感動が、周りの観衆と合ったとき、日本人の心の奥にある美意識、感動が残っていることに安堵しました。 落語で出てくる江戸っ子の「八っあん、熊さん」たちの花火見物時の叫び、「玉やー、鍵やー!」と同じ熱い歓声と拍手がありました。そして、花火や祭りの後の、何ともいえない切なさと、「また明日からがんばろう」という思いは、日本人同士ならでは分かり合えるものなのでしょうね。 少し重くなりますが話を続けます。 今の日本に起きている社会・経済事件が「やるせない」と感じられるのは、昔の日本にあった個々人の心にあった「よりどころ」というものが欠け始めているのではないのかと僕は心配でたまりません。 民主主義を進めるために、「封建的!」と捨て去ってきた「道徳心」や、教育現場で使われてきた「偏差値」教育の結果が、“外の世界”を重視し、“個人”の価値や心を“情緒的!”と軽視してしまい、「結果(実績)主義」、「合法なら何をやっても構わない」風潮を生み、一流企業・大組織の犯罪多発に結びついているのではないでしょうか? 今、僕は「日本人に還ろう!」と叫びたいです。すべて昔に返ろうというにではないのですが、「八っあん、熊さん」が居た頃のように、外にばかり多くを求めないで、生き急がないで、家庭や町、学校、職場に、「笑い」と「人情味」が溢れた社会に戻しませんか?そのために先ず、自分の価値観を見直して、もしズレていれば変えることから始めてみませんか? いつまでも「金銭」や「名誉」や「物」を求め続け、他と比較し「まだ幸せでなない」と頑張っても「キリ」がありません。その結果、失敗、挫折、嫉妬で自分を見失ってしまったり、他人を羨んだり、健康を害しては何もなりません。 それよりも、大自然や小鳥や花々を見て、皆といっしょに美しいと感じあえること、より良いものを創り喜んでもらえて自分が満足感も得る、そんなプロセスを大事にできることを、みつけようではありませんか? #
by kk-ohsawa
| 2006-07-23 12:12
| つれづれ日記
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